【1.基本情報】
所在地:新潟市秋葉区新栄町4-35
左翼:96m
中堅:120m
右翼:96m
収容人員:2,000人
開場:1963年
閉場:2010年
【2.概要】
鉄道の町、油田の町として栄えた旧・新津市(現・新潟市秋葉区)にあった野球場です。
1963年8月に新津市営野球場として建設され、旧・新津市が新潟市に編入された後は新津野球場と名乗っていました。
国民年金基金を利用して建てられた為か、球場正面には国民年金の文字が掲げられており、また「市営」の文字が外された跡が窺えました。
観客席はバックネット裏のみですが古いながらも立派な鉄筋コンクリート造の内野席があり、外野後方は新津第一中と接していることから、外野席はありませんでした。
【3.廃場の経緯】
ナイター設備も備えた旧・新津市を代表する野球場でしたが、新潟市の政令指定都市化に向けた旧・新津市の新潟市への編入にあたり策定された「合併建設計画(新にいがたまちづくり計画)」において、同球場は「文化会館建設事業」の対象用地となりました。
一方、「合併建設計画」では同球場の廃止とセットで「金谷野球場整備事業」が挙げられており、秋葉区内での代替施設が手当されることとなりました
。 これは合併後の新潟市全体で見た場合、一定規模の観覧設備を備えた野球場を複数持つ必要性は乏しく、一般的な用途からすると、駅徒歩圏(JR新津駅より徒歩15分)で駐車場が少ない老朽化した野球場を建て直すより文化会館とし、より郊外で広い駐車場を持つ運動公園の野球場を整備(硬式野球対応など)するのが合理的という考えだったのだと思われます。
このような流れを受け、2005年の旧・新津市の新潟市編入から5年後の2010年に同球場は廃止、翌2011年に取り壊され、跡地には「文化会館建設事業」に基づき2013年に新潟市秋葉区文化会館が建設されました。
また、「金谷野球場整備事業」によって新津金谷運動広場野球場は硬式野球が可能に施設に整備されました。
【4.その他】
新潟市との合併においては区名としても残らず、旧市営野球場もなくなってしまった「新津」ですが、鉄道の町として栄えた歴史があることから、「三色だんご」という名物が残っています。
1916年(大正5年)より販売されている銘菓で、黒あん・白あん・ゴマの三色の団子が駅弁風の箱に8個ずつ計24個が詰まっています。
【5.外部リンク】
新津野球場についてのWikipediaなどを含めた公的なサイトは見当たりません。
新津金谷運動広場《公式サイト(新潟市)》
新潟市新津金屋運動広場《公式サイト(指定管理者)》
新潟市新津金屋運動広場野球場《Wikipedia》